君の口癖は心地好く【二箱目の煙草】

一場面小説

君の口癖は心地好く

僕はくわえた煙草を吹かしながら、空の煙草の空き箱を握りつぶして窓際のごみ箱に投げ入れた。
煙草の空き箱はごみ箱の縁に当たって床に転がり、そして散らかった部屋の一部になった。

僕はぼーっとごみ箱の横に転がっている煙草の空き箱を見つめていたけど、重い腰を上げて空き箱を拾ってごみ箱に入れなおして、灰皿の横に置いてあるカセットデッキの再生ボタンを押した。

カセットデッキのテープが小さくキュルキュルと音を立てて、暫くして聞き覚えのある曲が流れ始めた。
君と一緒に聴いていた曲。
君のお気に入りの曲。

「どうしてもっと優しくしてくれないの」
「あなたが何を考えているのかわからなくなっちゃう」

君が僕の部屋を訪れるようになってから、どれくらい経った頃だっただろうか。
君と僕は些細なことで喧嘩することが多くなった。

きっと君の優しさに慣れ、その優しさが僕以外のどこにまもいかないものだと、勘違いしていたのかも知れない。君の優しさに甘えきってしまっていた自分に全く気付いてなかった。

風の強い冬の日、いつもは僕を連れ出すはずの君が急に、

「海に連れていって」

そう言い出した。

僕はいつもと違うその雰囲気に気圧されて、君を海に連れ出した。
海を眺めながら君と何を話したのか、もう覚えていない。
ただ、風になびく君の細く長い髪が、初めて出会った頃より幾分伸びていることに気づいたことだけは微かに覚えている。

どれくらい二人でそうしていただらうか。
冬の海はどこかしら寂しげで、空はどんよりと重く、砂浜に座り込み水平線を眺める僕と君の間を冷たい風が流れていた。

「また来よう、一緒に」

僕はジーンズについた砂を払いながら立ち上がり、君に囁いた。
僕が君に伝えた言葉は、冷たい冬の海風に流されて、君の耳に届いていなかったのかも知れない。

潮風になびく長い髪が君の表情を隠し、君がどんな顔で僕を見つめていたのか、わからなかった。
そしてそれ以降、君が僕の部屋を訪ねてくれることはなかった。

休みの日の僕は正午近くまで惰眠を貪る生活に戻っていった。
君と出会う前の僕の生活に。

そして、

「煙草…」
「吸い過ぎ…ないで」

誰に向けた言葉だったのかはわからない。

でも君が最後に残した言葉だと、駆けつけた病院で君を看取った君の両親が、そう僕に教えてくれた。
真っ白なシーツに包まれた君は、まるで眠っているかのように見えた。

「起きろよ、おい」

冷たくなった君の手を握り締めた途端に、涙が溢れる出していた。

いつの間にかくわえた煙草は根元まで灰になっていた。
僕は慌ててテーブルの上の灰皿で煙草をもみ消し、カーテンの隙間から差し込む陽射しに、目を細めた。

僕はベッドの下に手を伸ばして、そこに隠しておいた買い置きの煙草を一箱取り出した。

いつだったか、あんまり煙草を吸い過ぎる僕に怒ってしまった君が、買い置きの煙草をみんな捨ててしまったことがあった。
あのときは大喧嘩になった。

それから僕は、買い置きの煙草をベッドの下に隠すのが癖になってしまっていた。
その癖は今も抜けきれず、煙草の買い置きをそこに仕舞い込むようになっていた。

君は僕に変な隠し癖を残してくれたみたいだ。

 大切なものは、失ってから気づく 

誰の言葉か知らないけれど、見事に当たっている。

僕は自分の気付かないうちに本当に大切なものを失ってしまったのかも知れない。
いや、間違いなく失ってしまったのだ。

君の笑顔も、
君の怒った顔も、
君の怒鳴り声も、
そして君の笑い声も、

君の全てが、
もう決して戻ってはこない過去のものになってしまった。

君のお気に入りの曲はいつの間にか終わっていた。
僕はカセットを巻き戻し、もう一度その曲を流した。

二人で一緒に聴いていた曲。

僕は本を読みながら、君は本を読む僕の隣でテレビドラマに目を潤ませながら。
そんな二人で過ごした何気ない時間が、何よりも大切な、本当に大事な時間だったのかも知れない。

僕はベッドの下から取り出した煙草の箱のパッケージを開けて、トントンと指先で二三度軽く叩いた。
開いた箱の口から二本ほど煙草が顔を出す。

僕はその一本を取り出した口に咥えた。

「せめて一日一箱にしてね」

もう二度と聴くことのない君の口癖を思い出しながら、
僕は二箱目の煙草に火を着けた。

 

 

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