名前も顔も年齢さえ知らない人を好きになってしまうこと。
回線の混雑と言うトラブルのおかげで、彼女(トピ主)と直接メール(PCのフリーメールのことです)のやり取りが出来るようになると、掲示板上では出来ない二人だけの会話が成り立ち始めた。
掲示板では、普通に会話をしながら、メールでは少し個人的な話しをするようにもなり、僕と彼女(トピ主)の関係は急接近していった。
あるとき、
「再婚したいって思う?」
僕は彼女(トピ主)に聞いてみた。
「今は子供のことで、頭いっぱいなの」
トピ主からはそんな返事が返ってきた。
確かにね。僕だってそうだった。
寂しさを埋めて欲しいと思うことはあったが、誰かと再婚なんてことまでは考えてもなかった。
本当の名前も、顔も、住んでいる場所や年齢さえわからない相手だった。
だからこそ、自分の本音で話すことできたのかも知れない。
結婚する前の過去のこと、離婚の原因や今の生活、子供らのこと。隠すことなく素直に話せた。もちろん彼女(トピ主)も自分のことを僕に話してくれた。
でも、これほど仲良くなっても、互いにハンドルネームで呼び合い、自分の素性がばれるような部分は伏せている状態だった。
もしかしたら好意を持ってしまったとしても、きっと交際できるような関係にはれないはずだから、一線を引いてネット上での付き合いで留めようと互いに思っていたからなのかも知れない。
けれど、やばいよ。やばいよ。本当にやばいよ。
どうやら僕は本気で、彼女(トピ主)に惚れてしまったようだった。

どうしよう?
例えば僕は、子供らがいるのに誰かを好きになってもいいのだろうか。
どうしょう。
僕は顔も住んでいる所もまったくわからない彼女(トピ主)に、本気で惚れてしまったのだ。
こんなことってあるのか?
だって、顔も年齢も住んでいる場所も何もわからない相手だよ。

なるほど、人が恋に落ちるのは万有引力のせいではないと、かのアインシュタイン博士も申している。人は誰かを好きになることに理由も原因もないのだ。
ただ落ちるのだ。
でも彼女(トピ主)を好きになってしまったことを自覚した僕は、人を好きになるという幸せな感情よりも、逆に強い罪悪感に襲われていた。
「そんなことをしていていいのか」
「二人の子供がいるのに、父親のお前が恋愛なんてしていいわけないだろ」
頭の中で「理想の父親」の僕が囁く。
「子供らをしっかり育て終えるまでは、恋愛なんてもってのほかだ」
と。
それから僕は彼女(トピ主)との直接のメール(PCのフリーメールのことです)を控えるようになった。掲示板をのぞく時間も少し減らしながら、彼女(トピ主)の前から自分の気持ちと一緒にフェードアウトしようと思ったからだ。
トピに入っても、ちょっとした何気ないコメントを二つ三つ残すと、すぐにログアウトするようになっていった。
僕にも、誰かを好きになる感情が残っていた。それがわかっただけでも十分だった。
何だかさ、僕もまだそんな感情を持ってもいいんだ、そう考えるそれだけで、子供らの寝静まったあとに感じていたあの寂しさも、いつの間にか自然に和らいでいた。
そして掲示板に顔を出すことも徐々になくなり、パソコンを立ち上げることさえしなくなっていった。子供らと一緒に布団に潜り込み、夜の一人の時間を作らないようにしていった。
誰かを好きになることで、きっと寂しさは埋められる。

でも、今は子供らが優先だ。
僕には寂しさではなく、空しさが残っていたのかも知れない。
子供らが寝静まってもネットを開くことも。パソコンを立ち上げることもなくなったけど、前のような一人の夜の寂しさを感じることはなかった。いつものような変わらない毎日が続いていった。
「ちちー、あのね」
「最近何だか元気がないよ」
「疲れてるの?」
桜が夕食のときにそんなことを言いだした。
何でそんなことを言うんだろう?
自分では普通に過ごしているし、何も変わらないはずだった。
もしかしたら変わらないふりをして自分を誤魔化していたのかも知れない。確かに彼女(トピ主)との会話やトピでの仲間たちとの交流がなくなってから、もちろん寂しさは感じてなかったけれど、なんて言うんだろう、変な空しさがあったのは確かだった。
不思議だね。そんな僕自身も気づかなかったことを、子供らはちゃんと感じ取っていたから。
「とーさんが疲れたらだめでしょ」
桜の真似をするように幹がダメ出しをしてきた。そして桜と幹は互いに顔を見合わせながら頷きあっていた。

子供って、
本当に敏感なんだね。
その夜、僕は久しぶりに掲示板に顔を出してみた。
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