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僕らは初対面だったけど、でも初対面ではないくらいお互いのことをわかっていた。

回顧録

明日会う予定が、いきなりの予定変更に戸惑う僕。

長い道のりと電車の乗り継ぎという、普段は体験しないようなストレスと、明日彼女に会うという緊張に包まれた僕は、シャワーを浴びたあともホテルの部屋のベッドに横になったまま、ボーっとしていた。

明日彼女に会うことを考えると、そのあまりの緊張感で、食欲もわかない。

暫くそうしていたところに、彼女から電話がかかってきた。
彼女の声を聞くのは初めてだった。

「ねえ、食事はすんだ?」

ベッドに転がりながら、初めて聞く彼女の声に心拍数は最高潮だ。

「いや、まだだよ。近くにファミレスあったから、もう少ししたら食べに行く」

僕は、食欲もないのに、そんな返事を彼女に返した。
すると、

「二人で食べに行こうか?」

どうやら、彼女は娘ちゃんとの外食をキャンセルしたらしい。

「悪いだろ、運動会の後の外食を毎年楽しみにしてるんじゃない?」

「大丈夫!あとで埋め合わせすることで話しはついたの」
「娘の夕食作って、母親にお願いしたら迎えに行くから、18時頃、ホテルの前で待ってて」

と言って、僕の返事は聞かずに彼女は電話を切った。

彼女は彼女の実家に母親と一緒に三人で住んでいると言っていた。
娘ちゃんは母親に預けてくるらしい。

時計を見ると、時刻は17時20分。

ご対面までのカウントダウンが始まろうとしていた。

「やばいよ」

 

でも、この緊張感が、

何だか癖になあるほどたまらない。

 

いよいよ彼女とご対面、僕の血圧と脈拍は最高潮に達していたに違いない。

ベッドの上で横になっているうちに、時計の針は17時55分を指していた。

いよいよ彼女と会うときがきた。
たぶん、俺の血圧と脈拍は今まで生きてきた中での最高を記録していただろう。
僕は煙草を咥え、自分を落ち着かせるように大きく煙を吸い込んで、まるで深呼吸のように、ゆっくりと吐き出した。煙草の紫煙が部屋の中に薄っすらと幕を張っていた。

一服して少し落ち着いた僕は、身だしなみを整えて部屋を出た。

ホテルの前で待つこと数分。
僕の目の前にベージュ色の車が止まった。

「きたー」

僕の心臓はもう爆発寸前。

運転席から降りた彼女はニコッと笑って、

「こんにちは、さあ乗って」

と、俺に顔を合わせないような素振りで目線をそらして、先に運転席に戻った。

「じゃあ、失礼するね」

僕は彼女の車に乗り込む。
彼女は少しだけ視線を僕に向けて、

「はじめまして」

と、微かに微笑んで車を走らせた。
彼女も、僕と同様にかなり緊張している様子が伺えた。

 

いま思えば、

二人ともすごく焦っていたのかも。

 

僕らは初対面だったけれど、でも初対面ではなかった。

車を走らせながら、どんな会話をしたかはもう忘れてしまった。
僕が覚えているのは、車内に響くぐらい高まっていた心臓の音と、時々前髪を直しながら、運転する彼女の横顔だけ。

バリバリに緊張していた二人だったが、会話をしながら、その緊張は次第に和らいでいく。
そうなってしまえば、いつもと同じだった。
ネットを介した付き合いで、お互いの生活のこと、子供らのこと、仕事のこと、趣味や興味のあること、よくわかっていた。
僕らは初対面だったけど、全く初対面ではない関係たっだ。

彼女が運転しながら、

「あのね、会えなくて、寂しかったんだ」

と、僕に左手を差し出す。

「手を握ってて」

彼女の柔らかい手の感触を今でも覚えている。僕は汗ばんだ手で彼女の左手を静かに握った。

「なんか、恋人同士みたいだね」

と、運転中の彼女に言ってみるが

「………」

彼女は無言。

後日聞いたところ、彼女はすっごく緊張していて心臓バクバクで、僕の話したことの半分も聴いてなかったのだったと言っていた。
でもそのせいで、彼女の態度が、僕にはすごく素っ気無く感じられたんだ。

「あ、これはだめだな」

彼女の素っ気ない態度から、たぶん選んでもらえないことを察した僕は、

「じゃあ、せめて俺が帰るまでは、恋人気分でいさせてくれよ」

 

彼女の手を握り締めながら、

そう思っていた。

 

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