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子供らが寝静まった夜に、僕は寂しさを紛らわすため話し相手を探していた。

回顧録

父子家庭になって数年が過ぎ、僕は兼業主夫も板についてきた。

子供らの学校のことや幼稚園のこともスムーズにこなせる環境が整い、PTAの役員も引き受けながら忙しい毎日を過ごしていた。

小学校のPTAの役員をどうにかして逃れる方法はないのだろうか。
小学生の子を持つ親にはPTA活動というものが付きまとう。 最近はPTA自体をなくす小学校も出てきているとかニュースで聞いたことがあるが、父子家庭のお父さん方は、どんな風にPTA活動に参加されているかな? 長女が入学するときは、まだ父...

当初は父子家庭のなっことで、PTAの役員を逃れられないかと、甘い考えもあったが、僕の地元では容赦なく父子家庭や母子家庭の親にもPTA役員は押し付けられるのだ。

子供たちとの毎日はあっという間に過ぎ、桜は4年生、幹は小学校に入学することになった。父子家庭になって4年が過ぎようとしていた。もともと料理の腕前には自信があったが、その腕前は更に磨きがかかり、毎日子供らの制服(私立ではありません市立です)のシャツにアイロンがけしていた僕のアイロンがけの腕前もクリーニング屋さん並みになっていた。

 

ちなみに、僕の地元は、
公立は小学校から制服でした。

 

話し相手のいない寂しい夜に、一人晩酌の日々を過ごす。

子供らが寝静まると、僕は冷蔵庫からビールを取り出して一人晩酌の毎日。
子供らのために夜の飲み会はほとんど断っていたので、飲み会に誘われることさえなくなっていた。自分で作った酒の肴をつまみながら、一人で飲む酒。
寂しさを和らげようとする飲酒の行為は、なおさら一人の寂しさに追い打ちをかける。

ふと部屋の隅に目をやるとそこに誇りを被ったパソコンが目に留まった。

「そういえば、離婚する前に買ったのに全然使ってないや」

僕は、数年ぶりにパソコンを立ち上げてみた。
立ち上げたパソコンはネットにも繋がってなかった。買ったまんまだった。僕はその夜にネット回線の接続作業に取り組んだ。何かやることで、寂しさを忘れてしまいたかった。

 

その頃は、まだWifiとかもなく、ISDLやADSLの前の時代だったな。

ダイヤルアップ回線だったからネット中は電話が使えなかった。

 

僕の寂しさをやわらげた、ネットで繋がった友人たち。

今のようにツイッターやインスタなんてSNSなんてなかった頃。ブログもなく、情報発信はホームページが主流だった。僕は某ポータルサイトにアクセスして、僕と同じ境遇の仲間を探した。
それから、夜の一人の時間を俺はネットを眺めて過ごすようになっていた。
同じ境遇の家庭のホームページや子育てのホームページ、そこを訪問しながら寂しさを紛らわす毎日が続いていた。

相変わらず、幹の喘息発作は続いていた。夜中に桜を実家にあずけ、夜間診療へ幹を連れて行く。そんなことが月に2、3回のペースであった。でも、夜勤している父子家庭や母子家庭もあるんだ。ホームページで他のシングル家庭の状況を見ることが出来て、僕のような家庭はどこにでもあることを知った。

僕がパソコンを始めたのは20年程前。その頃はWifiなんて言葉もない。
ダイヤル回線で使えば使うほど電話代がかかる。個人のホームページもそんなに多くなく、その多くが企業のホームページばかりだった。ウィンドウズが出る前からマックを使っていたので、パソコン歴はそこそこだが、ネットは使ったことがあまりなくて、ほとんど初心者だった。
チャット?掲示板?なんだそりゃ?どうやったら利用できるんだ?金がいるんか?
わからないことばかりだったけど、それが逆に楽しくもあった。

子供らが寝静まってからネットを楽しむようになって、某ポータルサイトの掲示板を利用するようになった。なかなか面白い。
最初は見てるだけだったが、じきに参加するようになった。文字を通してだけど会話が成り立つ。話し相手が出来る。悩みが共有できる。

 

僕の求めていたものがそこにあった。

 

 

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