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母親がいないという理由だけで、子供らを可哀相なんて言わないで欲しい。

回顧録

楽しい父子生活が過ぎていく。

父子家庭になって1年も経てば、周りからの僕が独り身(子供らはいるけど)だということが、周囲に周知されてくる。
定時になると、残業もせずに子供を幼稚園に迎えに行く。
前にも書いた通り、長男の幹を通わせている幼稚園は延長保育をしてくれていて、最長で7時まで子供を預かってくれるから、保育園なんかよりもずっと便宜がいい。

どうしても残業をしなければならないときは、一度子供を迎え、自宅に帰って子供らに食事をさせてから、会社に戻る。そんなサイクルで仕事をしていた。長女の桜はさすがに女の子で、僕が残業で会社に戻るときは、弟の面倒をしっかり見てくれた。

何となくではあるけれど、順調な父子家庭生活が過ぎ去っていく。
毎日子供らと笑いながら過ごせる毎日。休みの前の日は、明日はどこの山に遊びに行こうか、どこの海に遊びに行こうかと、桜と幹と相談しながら行先をきめてながら床に就く。

父子家庭だけど、こんなに幸せでいいのか?

 

なんて、思ったりする。

ところが、こんな小さな幸せを崩す者がいる。

「父親しかいないと子供たちが可哀相でしょ」

そんなことを度々言われるようになる。

ちょっと待て。

母親がいないと、子供らは可哀相なのか?
片親だと、子供らは可哀相なのか?

僕は桜と幹を可哀相なんて思わないし、二人が可哀相なんて周りから思われなくないし、二人に自分たちが可哀相な存在だなんて思わせたくない。
父親として出来ることはもちろん精一杯やってるし、母親がいないことで子供らに不便な思いをさせることが絶対にあってはならないと思いながら一緒に過ごしている。

桜と幹が可哀相なんて誰にも言われたくない。

 

でもね、

桜と幹を可哀相だと言うんだよな。

 

二人を可哀相だと言うのは、僕の母親。

まさかね、実の親からそんなことを言われるとは。

僕は兄弟で一番最初に結婚したから、桜は僕の親には初孫で、幹は初の男の子の孫で、二人の孫は確かに僕の親からしたら、目の中に入れても痛くないほど可愛い存在ではある。
たぶんそんな可愛い孫だからこそ、片親になってしまったことを憐れんでいるのかも知れないが、さすがに口癖のように「可哀相」という言葉を聞くと頭にくることもある。

「可哀相」

そういうマイナスな言葉は暗示になってしまう。
何度も何度も言われるたびに暗示にかかって、本当に桜と幹が自分たちが「可哀相」な存在なんだとか思い込んでしまったら、どうするんだよ。

週末実家に子供らを連れて行ったときに、僕は母親に二度とそんな言葉を子供らにかけないよう厳重注意した。今度口にしたら、二度と子供らを連れてこないからと、

 

それくらい言っておかないと、
僕の親はしつこいからな。

 

片親だから可哀相だなんてことはない。

僕だけじゃなく、他の父子家庭のお父さん方。
いや、父子家庭だけじゃなく母子家庭のお母さん方も、子供らを可哀相だと言われたりしたことが一度や二度は必ずあるでしょう。

はっきり言って、大きなお世話なんだよね。

確かにね、両親が揃っている方が、子供のためにも、子育てのパートナーを失った僕のような父親や逆の立場の母親のためにも、確かにいいかも知れない。

でも、両親が揃っていても、互いに協力できなくて、片方の親だけで子育てしているような家庭はいっぱい存在しているし、離婚前の僕と別れた妻のように、夫婦仲が芳しくなくて、一緒にいても子供らが笑顔になれない家庭だってあるだろう。

片親だから子供らが可哀相だと思うのは間違いで、片親だからこそ幸せな時間が過ごせることも少なくはない。

「可哀相」

そんなことを言う前に孫たちの笑顔を見てみ。
桜と幹のその笑顔を見れば、可哀相なんて絶対思わないはずなのにさ。

 

まったく僕の母親は、
ちゃんと孫の顔を見てないんじゃないか。

 

 

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