子供らに甘えてしまっていた自分に気付いた、父子家庭半年目の夜。

回顧録

自分が母親の代わりを務めなきゃいけないと思い込んでいた娘。

父子家庭になって半年ほど経って、仕事中は迷惑になるから急用がない限りは電話を控えている長女の桜だけど、就業時間になるとほぼ毎日会社に電話が掛けてくるようになった。
職場の同僚らも僕が父子家庭になっていることに理解を示してくれていたので、僕の娘から定時に電話が掛かってくることが、職場の日課のようになっていた。それはもはや就業のチャイム。電話がないときは、逆に職場の同僚らが心配するようにまでなっていた。

「ちち、今日はご飯は何合炊いておけばいい?」

電話の内容は、僕が帰るまでに自分がやっておくことを確認するものだった。

僕が家に帰ったら早めに夕食の準備ができるようにと思ったのか、いつのまにか桜は見よう見まねでお米を研ぐことを覚えて、ご飯を炊いてくれるようになっていた。
一人でいるときは、まだ危ないのでガスは使わせなかったけど、その代わりレンジや炊飯器、洗濯機の使い方はしっかり覚えてくれたので、僕が長男の幹を連れて帰るまでに、ご飯を炊いて洗濯物を回しておいてくれるようになった。
料理を作り置きしておけば、それをレンジで温めてくれていて、帰ったらすぐに食事が摂れるときもあった。

やっぱり女の子なんだな。
桜のお手伝いぶりには随分と助けられた。

僕が仕事で遅くなってしまうときは、自分で幼稚園まで幹を迎えに行って連れて帰ってくれたりもした。
まだ小学校1年生だったし、さすがにそれは危ないので、やらないようにしくもらったけどね。

 

きっと桜は、母親の代わりを自分がやろうと決心していたんだと思う。

 

 

娘に変な義務感を持たせてしまっていたことに僕は深く反省した。

学校から帰ると真っ先に宿題を済ませ、片付けやご飯を研いだりと、僕が頼んだわけじゃないけれど、何も言わずに淡々と、毎日のルーティーンのようにやってくれる桜。
小学生の桜には、それはもうお手伝いの域を超えていたのかも知れない。
でも、無理にやらされている訳じゃないから、文句も言うこともしない。それがまるで自分の生活の一部であるかのように振る舞う桜。

何だか少し酷な気がする僕。

小学生なら放課後はお友達と遊んだり、好きなテレビを見たりってのが普通じゃないのか?
僕が小学校の時は、学校から帰るとランドセルを玄関に投げ出し、それこそ夕飯の時間までお友達と遊び惚けていた。

自分の小学校の頃と比較しても、僕は桜に変な義務感を持たせてしまっているのかも知れないと思った。
もっと小学生の子供らしく過ごさせたいと。

「なあ、桜」
「お友達と遊んだりしないの?」

桜と幹と3人で夕飯の食卓を囲みながらそんなことを聞いてみた。

「だって桜が頑張らないと、ちちが疲れちゃう」

やっぱり。

僕は桜に変な義務感を持たせちゃっていた。
たぶん僕が仕事が忙しくて、疲れた顔を見せちゃったのが悪かったのだろう。
夕食を頬張る桜の顔を見ながら、
山よりも高く、海よりも深く反省した僕。小さまだ小さな子供らに気遣いばかりさせちゃだめだ。

まったく父親失格だ。

そのときからかな、
僕はどんなに疲れていても、どんなに嫌なことがあっても、子供らの前では笑顔を欠かさないように気を付けるようになった。いや気を付けなきゃいけないと思った。
それは、父子家庭の父親の絶対的な義務だと。

子供らは小さいながら、親の表情や態度をしっかりと読み取る。親が不安な顔をすれば不安にもなるし、悲しい顔をすれば悲しくもなる。
疲れた顔をすれば、それを癒してあげようと思ってくれる。

それはいいことだとは思うけれど、
でも、それは子供らが僕に気遣ってまでやることじゃない。

僕の疲れを癒してくれるのは、僕を手伝ってくれることや母親の代わりをすることじゃなくて、
僕の大切な子供として、いつでも笑顔を絶やさずにいてくれること。
そして桜と幹に笑顔を与えられるのは、それは他の誰でもなく、僕しかいない。

もっとしっかりしないとダメだ。
小さな子供らに甘え過ぎていた自分に気付かされた夜だった。

父子家庭になってほぼ半年、

 

まだまだ子供らに教えられてばかりの、

発展途上の父子家庭おやじだった。

 

 

 

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