子供らを怒ってますか、それとも叱ってますか。

回顧録

子供らを絶対に怒らないことを、父子家庭になって僕は決意した。

父子家庭になって気を付けたことがある。

子供らを叱ることがあっても、決して怒らないこと。

父子家庭になった頃の僕は比較的温和な性格になっていた。

若い頃は「超」が付くほど短気な性格だったが、結婚と子供が生まれたのを境に、180度の性格転換を迎えたからだ。それでも、自分が疲れているときやイラついているとき、ついつい八つ当たり的に子供を怒ってしまうことはあった。

子供らの母親、つまりは僕の妻ということになるが、その存在がある場合はそれでもよかった(いや、よいわけではないが)。
僕が怒っても子供らを守る立場の母親がいれば、怒った僕から子供らを引き離してくれたわけだ。

ところが、父子家庭になったらそうはいかない。

子供らを怒る自分と、子供らを守る自分と一人二役をしなければならない。感情的に怒ってしまっては、怒ったすぐ傍から子供らを抱きしめてやることはできないからね。

それに感情に任せて子供らを怒鳴りつけたり、また手を上げてしまったりしていたら、子供らは萎縮してしまって、のびのびできないだろうし、僕の顔色を伺うように育ってしまうかもしれない。

 

僕は感情的に怒ることをやめ、
冷静に悪いことに対し叱ることを心掛けた。

 

基本的には叱ることも、僕は極力控えてるようにしていた。

僕は怒ることを止めて、叱ることだけに気をつけていたけど、極力叱ることも控えていた。
叱る場合も、

ケガをしたり命の危険に及ぶ可能性がある場合。

と、

他の人に迷惑を及ぼす場合。

この2つのこと以外は叱らないで放っておいた。

放任主義っぽいかもしれないが、こまごまと悪い事を見つけ叱りつけちゃうと、子供ってはっきりいって悪いことばっかしちゃうから、特に長男の幹はやんちゃ坊主だったし、叱ってばっかりになってしまう。

なので、僕は上記の2つのこと以外では怒ることは勿論、叱ることもあまりなかった。
周囲の親からすれば「甘い」と思われるのかもしれないが、それが僕流の「躾」だと考えていたから、甘い親で結構という思いだった。

ただし、叱る時は徹底的に叱った。
泣こうが喚こうが、子供らがとことん反省するまで思いっきり叱った。

もちろん叱る時は叩くこともあった。
僕の中のルールで、3度言葉で伝えてそれでも同じ悪い事をしたら、叩くことでわからせることにしていた。

これは、僕の田舎の野蛮な考え方なのかも知れない、「3度話して判らない者は牛や豚と一緒」という言葉があって、人間なら3度も言葉で伝えれば嫌でも伝わるが、それでも伝わらないなら動物と一緒だから、叩いて言うことを聞かせなさいという慣わしだ。

これは、一見野蛮にも思えるが、「仏の顔も三度まで」という諺に類する考え方だと思う。

そんなわけで、僕流の「躾」で子供らを育ててきたけれど、良かったのか悪かったのかは、子供らが大人になったときに(いや、もうすでに大人になってるが)社会が判断してくれるのだろう。

 

桜も幹もグレなかったから、

僕の躾は活きていたのかも知れないね。

 

 

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